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株式会社長野工務店 横浜市 土木工事・舗装工事・上下水道工事・防食工事・太陽光事業を行う会社です。随時求人募集!

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〒244-0004 横浜市戸塚区小雀町1137番地

見出し長野工務店100年のあゆみ

樺キ野工務店 100年のあゆみ

創業期(1914年〜1945年)
 樺キ野工務店は(以後 当社と呼ぶ)の創業者長野福治は、明治24年(1891年)6月20日、神奈川県鎌倉郡長尾村大字小雀(後の大正村、現在の横浜市戸塚区)に生まれた。長野家は代々の名主で大地主であった。福治は大正村の村会議員を務め、近衛兵にも任命されるなど、地元でも名士でもあった。
 大正村は水田と畑が広がる農業専業地帯であった。当時、一般の道路はもちろんの事、現在付近を走る国道1号線や藤沢街道も舗装されておらず砂利が敷かれていた状態で、大雨が降ると砂利が崩れて補修する必要があった。役所は地元の有力者である長野家に砂利の納入を依頼した。加えて、近辺の水田への水引などの工事も名主である長野家の手配で行われていた。
 大正3年4月1日、福治は神奈川県への砂利納入とそれを使った道路建設を業とする長野組を創業。この年を当社は創業の年としている。
創業当初は、近在の人を20人程度労務として雇い、福治自らも作業に加わって働いていたといわれている。上記濱野司郎の小学生の頃(昭和10年頃)の記憶では、自宅付近にトロッコ線路があり、朝の3時頃から労務がやって来てトロッコで砂利を運んでいたという。
 神奈川や横浜市の請負業者として、仕事の範囲は道路から河川、橋梁へと拡がっていった。戸塚の土建業者で横浜市発注の橋梁を手掛けたのは長野組がはじめてと言われており、昭和2年、柏尾川の高嶋橋の架け替え工事を担当した。

 当社社主長野敏三は、大正6年8月10日に福治の長男として生まれた。早稲田高等工学校を卒業して、昭和14年に鉄道省に入省。技術の方面に進んだのは、将来家業を継ぐ心構えがあったのであろう。結婚して長男昭が誕生した後、徴兵により軍人として満州に赴いた。技術屋だったので、盧溝橋の飛行場建設に携わさせられることとなり、前線に出ることはなかった。終戦の時は、北九州の飛行場建設現場で働いていた。


       (写真上 長野家一族 大正15年頃  写真下 戸塚区高嶋橋架替工事 昭和2年頃)

 創業期  戦後復興期へ  発展期  未来に向けて

バナースペース

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