本文へスキップ

株式会社長野工務店 横浜市 土木工事・舗装工事・上下水道工事・防食工事・太陽光事業を行う会社です。随時求人募集!

TEL. 045-851-2323

〒244-0004 横浜市戸塚区小雀町1137番地

見出しHEADLINE

樺キ野工務店 100年のあゆみ

戦後復興期(1946年〜1970年)
 戦後の昭和21年4月1日、長野組は名称を長野工務店と改め、新たな出発を期した。翌年の昭和22年、戦地から帰還した敏三が入社して事業主代行に就任。福治は一線を退いた。昭和24年には、建設業を登録制とする建設業法が制定され、当社も特定建設業者として登録を行い、本格的な建設業者としての態様を整えた。
 当時は戦後焼け跡からの復興期であり、建設需要は盛んであった。当社は戦前の長野組からの付き合いで県や市発注の土木工事が主たる仕事であったが、建築工事も手掛けるようになっていた。
 会社経営は敏三の兄弟が中心となって切り盛りした。次男精三は営業を担当して、役所での入札などで活躍した。四男の長野政五郎は現場での監督に当たった。三男の濱野司郎は昭和39年入社し、後に当社3代社長に就任した。
 濱野は、早稲田大学からの学徒出陣で陸軍主計官として戦地に赴いたが、戦後、敏三の紹介で運輸省施設局に入省した。しかし、間もなく退官して桑島建設に入社。その後、独立して三和工務店を経営し、沼津市営グラウンドや草薙野球場の建設に関わった。37歳の時、当時営業の中心であった兄精三の助っ人として当社に入社した。
昭和39年の東京オリンピック開催を挟んで日本の高度経済成長が進行する中で、当社は、公共インフラ整備の基礎部分である土木工事に業容を特化していくことになる。


(写真上 昭和39年当時の本社 写真下 昭和42年湘南護岸整備 現在の鎌倉)

 創業期  戦後復興期へ  発展期  未来に向けて

バナースペース

株式会社長野工務店

〒244-0004
横浜市戸塚区小雀町1137番地

TEL 045-851-2323
FAX 045-851-2456